箕面市 > 子育て・教育・文化 > 文化 > 文化財の保護活用について > 八天石蔵と町石 > 四明王の八天石蔵
更新日:2024年6月23日
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明王は、元々古代インドの神々で、佛教に取り入れられた天部神で、須弥山の第3層で仏法を守護しています。密教では、一般的に五大明王として表され、不動明王を中心に、東に降三世明王、西に大威徳明王、南に軍荼利明王、北に金剛夜叉明王が配されています。
八天卯方降三世明王石蔵
地図番号3(N34.87265,E135.49696) 到達難易度5
粟生村との境界で勝尾寺の卯方(東)に位置し、勝尾寺園地を北に急峻な山道を約1キロメートル上った高圧送電線鉄塔の下側にあります。
降三世明王
真言 オン・ソンバ・ニソンバ・ウン・バザラ・ウン・パッタ 梵字 ウン
護法神(仏法や佛教徒を護る神)である五大明王の一尊として東方に配されています。阿閦如来が教令輪身した姿とされ、四面八臂の姿で、二本の手で印象的な「降三世印」を結び、残りの手は弓矢や三叉矛などの武器を構える勇壮な姿で表されています。「三千世界の支配者シヴァ(ヒンドゥー教3主神の一神)を倒した勝利者」という意味をもち、両足で地に倒れた大自在天(シヴァ)と妻烏摩妃(パールヴァティー)を踏みつけているのが最大の特徴です。
埋納されていた降三世明王尊像などの大きさ
像高20.0センチメートル 総高28.5センチメートル 外容器胴径28.5センチメートル 高さ36.8センチメートル
最寄りの文化財など 多聞天王石蔵は自然歩道を通り約1.0キロメートル、持国天王石蔵と勝尾寺は自然歩道を通り約1.6キロメートル、開成皇子陵墓は東海自然歩道を通り約1.8キロメートル
八天亥子方金剛夜叉明王石蔵
地図番号1(N34.87731,E135.48867) 到達難易度1
高山村との境界で勝尾寺の亥子方(北北西)に位置し、大阪北摂霊園管理事務所の南側、合葬式墓地エントランスの下側にあります。[遺構側への立ち入りはできません。]
金剛夜叉明王
真言 オン・バザラ・ヤキシャ・ウン 梵字 ウ-ン
人を襲っては喰らう恐るべき夜叉で人々から畏怖の対象となっていましたが、後に大日如来の威徳によって善に目覚め、仏教の五大明王(一般的に不動明王を中心に、金剛夜叉明王・降三世明王・大威徳明王・軍荼利明王を指しています。)の一尊として北方に配されており、不空成就如来が教令輪身(導き難い相手に対して忿怒の姿をとる)した姿といわれています。三面五眼六臂の姿をしており、手には金剛杵や弓矢や長剣、金剛鈴などをもつ姿で表されますが、何よりも正面の顔は眼が5つもある特徴ある相です。金剛とはダイヤモンドを指し、何ごとにも破壊されない仏の智慧をあらわし、過去・現在・未来の悪い欲を飲み尽くし、仏の智慧で心の汚れを取り除くとされ、日本でも古くから敵を打ち破る「戦勝祈願の仏」として広く武人たちに信仰されています。
埋納されていた金剛夜叉明王尊像などの大きさ
像高21.2センチメートル 総高30.0センチメートル 外容器胴径27.9センチメートル 高さ35.5センチメートル
最寄りの文化財など 多聞天石蔵は園内10区と豊能町道、府道を通り約3.0キロメートル、マリアの泉は府道を通り約0.3キロメートル
八天未申方大威徳明王石蔵
地図番号7(N34.8578191,E135.479418) 到達難易度1
箕面寺(現在の瀧安寺)との境界で勝尾寺の未申方(南西)に位置し、箕面ビジターセンターから勝尾寺に向かって小川沿いに50メートル、ロープ柵を入ったところにあります。
大威徳明王
真言 オン・シュチリ・キャラロハ・ウンケン・ソワカ 梵字 キリーク
衆生あるものを害するすべての毒蛇、悪竜、怨敵を打ちたおすとされ、五大明王の一尊として西方に配されており、阿弥陀如来が教令輪身(導き難い相手に対して忿怒の姿をとる)した姿といわれています。六面六臂六足の姿をして水牛に乗った姿をしており、2手は大威徳明王の根本印である檀陀印を結んでいます。中央で両手を組み小指と薬指を絡ませるように折り、中指を立てる印相です。そのほか右の2手は剣と棒、左の2手は三叉戟(さんさげき)、輪を持ち、顔には三つの目があります。「閻魔を倒す者」という降閻魔尊とも呼ばれ、戦勝祈願の対象として崇敬されてきました。
埋納されていた大威徳明王尊像などの大きさ
像高19.4センチメートル 総高30.0センチメートル 外容器胴径27.6センチメートル 高さ37.0センチメートル
最寄りの文化財など 広目天石蔵は府道(ダム沿い)を通り約2.5キロメートル、増長天王石蔵は自然研究路4号線を通り約2.1キロメートル
八天午方軍荼利明王石蔵
地図番号5(N34.8612277,E135.4956268) 到達難易度2
粟生村との境界で勝尾寺の午方(南)に位置し、勝尾寺山門の南側、階段を上り道なりに四町石と五町石の間にあります。
金剛夜叉明王
真言 オン・バザラ・ヤキシャ・ウン 梵字 ウ-ン
阿修羅、悪鬼を折伏し、甘露を以て衆生を資益し、甘露で生あるものをすくうとされ、五大明王の一尊として南方に配されており、宝生如来が教令輪身した姿といわれています。一面八臂の姿をしており、3つの眼に8本の手があります。胸の前で交差している印が特徴で、右手には金剛杵、金剛鈎、印、左手には三叉戟、輪、羂索をもち、手足には蛇が巻き付いており、蛇のベルトをしています。
埋納されていた軍荼利明王尊像などの大きさ
像高20.0センチメートル 総高29.2センチメートル 外容器胴径29.3センチメートル 高さ34.7センチメートル
最寄りの文化財など 日本最古の町石は同じ旧参道沿い、増長天王石蔵は自然研究路5号線を通り約1.2キロメートル、シラミ地蔵は自然歩道を通り約0.6キロメートル
不動明王は、五大明王(一般的に五大明王として表され、不動明王を中心に、東に降三世明王、西に大威徳明王、南に軍荼利明王、北に金剛夜叉明王が配されています。)の中心的な存在で動かない守護者の意味をもっています。
仏法の障害となるものに対して怒りを持って屈服させ、仏道に入った修行者には常に守護し、大日如来の化身として、どんな悪人でも仏道に導くという心の決意をあらわした姿とされ、目は天地眼(てんちげん)といい右目を天に、左目を地に向けています。口は牙上下出といって右の牙を上に出して左の牙を下に出しています。炎の光背を背にし、手には剣と羂索(けんじゃく)をもった姿で表されています。日本で古くからお不動様として信仰され親しまれています。
不動明王は五大明王の中心的な存在ということから、勝尾寺本堂手前の三宝荒神をお祀りしている荒神堂横にある影向石(ようごういし)の下にあるのではと言われています。
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