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更新日:2019年10月1日

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住宅地化と産業の変化、社会事業

参考資料

<箕面村の産業の変化に関すること>

  • 旧箕面村公文書☆
  • 個人所蔵資料
  • 大阪朝日新聞
  • 箕面市編・発行『箕面市行政史料集三箕面村事務報告書』1983年☆
  • 箕面市編・発行『箕面市行政史料集四萱野村事務報告書』1984年☆

<昭和10年代の萱野村や常照寺隣保館に関すること>

  • 旧萱野村公文書☆
  • 藤原淨信著「農村隣保館経営の実際」『社会事業』第18巻第2号、中央社会事業協会、1934年5月
  • 藤原笙堂著「悩む近郊農村生活」『社会事業研究』第27巻第2号、大阪府社会事業連盟、1939年3月
  • 藤原淨信著「日本農業の再編成と農村社会事業の立場」第28巻9号、大阪府社会事業協会、1930年10月

花づくりの村だった箕面村

大正期(1912年-1926年)も末になると、箕面村の農家は全戸数のわずか三分の一になり、「農業の革命期」をむかえます。箕面村は水利や地質の関係上果樹栽培がさかんでしたが、花卉(かき)・植木や蔬菜(そさい)栽培などを主流とする近郊農業へと変わっていきます。とくに生け花用として都市の高い需要があった花卉・植木に力が入れられます。大正13年(1924年)4月の大阪朝日新聞には、「花作る村々」という連載が掲載され、箕面村と萱野村の花づくりを紹介し、箕面村では専業53戸、副業40戸以上、温室は42棟あるとしています。昭和7年(1932年)の事務報告書(現在の市勢年鑑のようなもの)には箕面村域の3割が園芸植物の栽培地、住宅地と田畑がそれぞれ3割5分と記されています。箕面村は一大園芸地域でした。しかし、戦火が激しくなるとともに、食糧増産に力が入れられるようになり、しだいに花卉栽培が制限されるようになりました。

豊能地域の花づくりと豊能美風園芸組合

豊能地域(おもに今の豊能町・能勢町・池田市・箕面市・豊中市にあたる地域)は、古くから園芸がさかんな地域でした。植木が中心でしたが、江戸時代のおわりごろから生け花用の花卉(かき)の需要が増えました。明治なかばからは、当時はめずらしかったヒヤシンスやチューリップなども栽培するようになります。
箕面有馬電気軌道が開通すると販路が拡大するとともに、郊外住宅地の田園趣味や都市化により需要が増え、切り花園芸にとりくむ農家が増えました。
大正3年(1914年)2月には、箕面村大字半町(はんじょう)に園友会という花卉栽培農家の組織ができました。その規模を拡大するかたちで、大正5年(1916年)4月に北摂切花園芸組合美風会が結成されます。この組合には、現在の箕面村域では箕面村、萱野村、豊川村が参加し、そのほかに池田町、秦野村、北豊島村、桜井谷村、豊中村、熊野田村、新田村が入っていました。昭和5年(1930年)6月に豊能美風園芸組合と改称しました。昭和6年(1931年)の調べでは、箕面村は温室の棟数と総面積が会員のなかで群をぬいています。
組合では、当初、“花電車”とよばれる箕面電車の早朝特発電車により共同出荷していました。生け花用から冠婚葬祭・宴会用までとりあつかう幅の広さと生産量の増加により、昭和2年(1927年)12月からは専用トラックで、大阪や神戸市の花市場に一括出荷するなどのとりくみを展開します。
切り花業の発展のために結成したこの組合は、栽培技術の共有・開発、出荷取扱所設置による品質の保持、販路の開拓につとめ、優良な品質が「美風会の荷」として評価され、最高の市価をたもちました。

社会事業(常照寺隣保館)

箕面村の隣村である萱野村(かやのむら)も切り花の出荷取扱所がおかれ、村が蔬菜(そさい)栽培を奨励するなど近郊農業化の傾向がありました。しかし、米作(酒造米)を中心とした村のありかたにほとんど変わりはありませんでした。昭和に入り、都市文化の流入や経済の疲弊により農村自治が危機をむかえるなか、農村としての可能性を求め、誇りある村の姿をとりもどそうとするとりくみが展開します。そのひとつが常照寺隣保館(じょうしょうじりんぽかん)です。隣保館とは、現在でいうならば、総合型社会福祉事業(施設)のことです。地域に拠点をおき、その地域の社会的課題に総合的にとりくむ、社会事業の一手法です。

藤原淨信と常照寺隣保館

藤原淨信(ふじわら・じょうしん)(明治32年<1899年>-昭和24年<1949年>)は、福井県の出身で、大正15年(1926年)5月に常照寺の住職になりました。藤原は、大正期ごろからおもに都市で実践されていた社会事業を農村に応用した、豊能郡における先駆者です。
常照寺では、昭和4年(1929年)秋から農繁期に託児所をひらき、昭和6年(1931年)12月からは常設保育をはじめています。隣保館事業としては、保育事業のほか、農民講座や日曜学校などの教化事業、古靴下から絹糸を再製しメリヤス加工する授産事業(農閑期)にとりくみました。しかし、この授産事業については、仕事がこまかすぎて「関西人には不向きであった」としています。昭和9年(1934年)時には、木工や藁細工などにとりくんでいたようです。
隣保館のとりくみの中でも保育園事業がとくに生活と密着する事業という考えかたは、社会事業家の中ではよく見られるものです。

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