箕面市 > 市政 > 市の概要 > 記録資料・市史 > 箕面の駅・観光・住宅地開発などのあゆみを記録で伝えた連続企画展の報告 > 連続企画展パート2「みのお山に祈り・遊び・憩う」の報告
更新日:2019年10月1日
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延べ2,247人のかたにご来場いただきました。
ありがとうございました。
連続企画展タイトル:箕面市行政史料整理保存事業連続企画展「電車が通る。みのおに遊ぶ。みのおに住まう。」
パート2タイトル:「みのお山に祈り・遊び・憩う」
主催:箕面市総務部総務課
共催:箕面市立郷土資料館
会期:平成21年(2009年)6月5日(金曜日)から8月3日(月曜日)
会場:箕面市立郷土資料館(みのおサンプラザ1号館地下1階)
入館料:無料
山岳修行の霊地、滝と紅葉の景勝地として古くから知られ、明治31年(1898年)に大阪府の公園地に、昭和42年(1967年)に国定公園となった箕面山のあゆみについて、時代を追って紹介しました。
展示の導入では、江戸時代の瀧安寺(りゅうあんじ)や西江寺(さいこうじ)、勝尾寺(かつおうじ)のようすがわかる資料や、瀧安寺に奉納された坂田藤十郎や近松門左衛門の自筆と思われる署名がある大般若経などを展示しました。
明治43年(1910年)11月1日、箕面山の山腹に動物園が開園します。展示では、動物や余興場、当時珍しかった観覧車や噴水などの絵はがきを、当時の動物園案内図を参考に推定した位置に設置し、箕面動物園を再現しました。この動物園は大正5年(1916年)3月31日に閉園し、ゾウやトラ、サルなどの動物は、前年に開園していた天王寺動物園にひきとられたようです。
大正なかばごろから、大阪府が箕面公園の本格的な整備を始めます。大正13年(1924年)に整備した登山廻遊路や延長約27メートルもの大すべり台などの絵はがきを紹介しました。
戦後の動きとして、昭和26年(1951年)5月の箕面町観光協会設立趣意書や昭和28年(1953年)に開催されたみのお観光博覧会、昭和30年(1955年)から昭和56年(1981年)まであった箕面山自然動物園(ニホンザル公園)に関係する資料などを紹介しました。
現在は、穏やかな顔を見せる箕面山ですが、たびたび人びとのくらしやいのちを脅かしました。文禄5年(1596年)に近畿地方を襲った伏見大地震では、滝つぼの近くにあった瀧安寺の伽藍(がらん)の多くが壊れ、その後現在地に移転しました。展示では、瀧安寺が滝つぼ近くにあったころのようすを描いた絵図(「参詣曼荼羅(さんけいまんだら)」)を紹介しました。また、昭和初期の水害被害のようすがわかる写真、昭和57年(1982年)に完成した箕面川治水ダムについての年表や資料を紹介しました。
1.『箕面公園』ゆかりのひとびと
将棋名人(王将) 阪田三吉 |
大正2年(1913年)、平手対局(ハンデなしによる対等の対局)で関根金次郎に初めて勝った重要な対局が、箕面公園内の朝日倶楽部でありました。 |
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野口英世 | 大正4年(1915年)10月10日、箕面公園琴の家の昼食会に招かれた野口が、母シカや恩師たちを手厚くもてなす姿がひとびとの心を打ちました。このエピソードがもとになって、昭和30年(1955年)11月22日銅像が建立され、同月27日に除幕式が挙行されました。 |
2.『一の橋』のうつりかわり
会場では、7月31日(金曜日)から以下の唱歌の一部を流しました。唱歌の譜面や歌詞もお配りしました。
使用にあたっては、阪急電鉄株式会社と大阪音楽大学のご協力を得ました。
(アンケートより。漢字やかなづかいなど、一部訂正しました。)
【担当者より】合田百一箕面町警察署長は、昭和26年(1951年)7月11日の水害時、箕面滝近くでの救助活動の際に殉職しました。
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