箕面市 > 防災・防犯 > 防災 > 被災地・被災者支援の取り組み > 東日本大震災被災地支援のため、職員を派遣しています
更新日:2012年4月5日
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東日本大震災から1年を迎えました。箕面市では、未曾有の大災害からの復旧、復興に向け、震災直後からこれまでに、延べ38名の職員を岩手県の各地と宮城県へ派遣しています。そのうち、今年の3月31日まで岩手県大槌町へ戸籍事務の応援職員として派遣していた林直子さんが、2012年3月19日の新聞で下記のように紹介されました。
応援職員として入った被災地での経験を語り継ぎたい―。岩手県大槌町の町民課で戸籍事務に携わる大阪府箕面市職員の林直子さん(39)は、派遣された自身の役割をそう感じている。被災地から遠く離れた西日本で、東日本大震災を風化させないために。
大槌町への応援には自ら手を挙げた。阪神大震災があった17年前、神戸市だけでは死亡届の処理などが間に合わず、箕面市で仕事をしていた林さんも手伝った。その経験が役に立つと思った。
だが余震が続いていた震災後間もない時期。長女の礼乃さん(16)には「何かあったらどうするの」と強く反対された。東京電力福島第1原発事故もあり、放射線に関する風評被害が広まり始めていた。
地元で見る震災のニュースは、前向きな内容が増えてきたため「復興は進んでいるものとばかり思っていた」。しかし応援が実現した1月初旬、初めて被災地に来てがくぜんとした。骨組みだけの建物、動かない信号機。震災から1年たっても、そこは時間が止まったままのようだった。
被災地の現状を知り「来て良かったのかな…」と礼乃さんにメールで弱音を吐いたことがある。すると反対していたはずの一人娘は「行くって決めたんだから、無理しない程度に頑張って」と返信、背中を押してくれた。
阪神大震災のとき、礼乃さんはまだおなかの中にいた。だからこそ「彼女にも被災地に来て、現実を知ってほしい」と思う。「今まで自分がいかに恵まれていたか、きっと考えが変わるはず」
2月、箕面市の中学生数人が義援金を持って大槌町の中学校を訪れた。「こんな状況とは思わなかった」と口にする彼らに、林さんは言った。「君たちが大きくなったら、もう一度来てほしい。こんなに変わったんだというところを見て、感じてほしい」。次世代を担う子どもたちがどんどん情報発信をすれば、風化もきっと防げる。
阪神大震災から立ち直った神戸市のように、東北の復興が進むとは限らない。「被災地が忘れられないように、私たち応援職員も『復興はまだまだなんだよ』と地元で声を上げないと」。講演会などに呼ばれれば積極的に参加するつもりだ。逆に、被災地の職員が県外で経験を伝えていく必要性も感じている。
3月末で任期は終わる。でも、機会があればまた大槌町に来たい。町並みがどう変わったかを見届け、そして故郷で、被災地のことを語り継いでいきたいと思っている。
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