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箕面の概要

箕面のうつりかわり

箕面の歴史は丘陵や山地のふもとからはじまります。市域の南部に広がる千里丘陵の西端、瀬川地区からは縄文時代の土器や石器が発見され、数千年のむかしに人々がこの地区で生活したことが知られます。萱野の北、如意谷の山中からは銅鐸が出土し、この近辺に弥生時代の人が生活していたことをうかがわせます。

白雉元年(650)修験道の開祖である「役行者(えんのぎょうじゃ)」により開基と伝えられる箕面寺(瀧安寺)と、光仁天皇の皇子「開成(かいじょう)」が宝亀六年(775)に創建したとされる勝尾寺は、平安時代の後期には聖の住処として歌謡集「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」に歌われるほど全国的に有名になります。

戦国争乱の時代を経て豊臣・徳川二氏の時代を迎えた市域の村々では、検地が実施され自然的中世村落から行政単位としての近世村落が政治的につくられました。

その後、明治4年(1871)の廃藩置県に際しては、この辺りの大部分が兵庫県に属しましたが、同年11月に大阪府の管下に属しました。次いで同22年(1889)の市町村制にともない合併がおこなわれ、同年4月1日から豊川、萱野、箕面、止々呂美の4ヵ村が新たに発足しました。昭和23年(1948)1月1日、町制施行により箕面村が箕面町となり、同年8月1日、萱野村、止々呂美村と合併、昭和31年(1956)12月1日、三島郡豊川村と合併して箕面市の誕生をみるにいたり、現在はみどり豊かな住宅都市へと発展しています。

箕面市の位置と地勢

箕面市は、東西7.1km、南北11.7km、面積47.84ku、大阪の北西部に位置しています。

市の北部は、北摂山地が東西に連なり、南部は東西に千里丘陵、中央部に平地部がひろがり、東は茨木市、西は池田市に接しています。北部山地に源を発する河川は、ひとつは東へ流れて豊川地区を潤す勝尾寺川となり、ひとつは市街地西部を南西に流れる箕面川となって風致を添えています。


箕面市の位置と地勢


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箕面市地域創造部箕面営業室  平成26年(2014年)7月30日更新
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