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為那都比古神社
★4 為那都比古神社
大化の改新以前、旧豊嶋郡、河辺郡(東は吹田市北部から西は尼崎市北部)を「猪名県」とし、これを支配したのが為那都比古の一族です。彼らは氏族の祖神として為那都比古神社をお祀りしていました。
天正年間(1573〜1591)織田信長が高山右近に命じて摂津一円の神社を破壊したが、信長の信仰厚い「牛頭天王(ごずてんのう)」を祀っているといって、その難を免れました。

「ヒコについて」!
吉備津彦(きびつひこ)・伊勢津彦(いせつひこ)・阿蘇津彦(あそつひこ)など、地名を負ったヒコというのは原始的な姓でした。3世紀から5世紀にかけて、そのあたりの首長に与えられた一種の称号で、これを称した豪族たちの多くは、のちに国造や県主などの長官の官職につきました。(為那都比古神社の縁起より)

阪急バス「青松園前」から徒歩3分