更新日:2015年12月1日

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みのおの水道遺産

展示にあたり

箕面市では、平成13年4月に通水50周年を迎えました。古より、水を巡る話は絶えませんが、水は人にとって命の次に大切なものであることは確かです。水道のなかった時代の知恵であり、水を尊さを語るうえで生きた証拠でもある「踏車」や「手押しポンプ」を水の遺産として残すことで、より多くの皆さんに水の大切さを学んでいただくことの材料の一つとなればと考えています。

踏車ふみぐるま

「踏車」は、江戸時代(1603年~1863年)のはじめ、寛文年間(1661年~1672年)に大坂の京屋七兵衛が発明したものといわれ、宝暦(1753年~1754年)から安永(1772年~1779年)の頃には全国に普及していたといいます。展示している大きさの水車ならば、ひと羽で4~5升(7.2~9リットル)の水が揚がるという人力水車です。この踏車は人が羽根板を足で踏み下げることで、一方の側で羽根板が水を押し上げて、田へ水を入れるようにしたものです。

つるべと手押しポンプ

昔から、水を巡って争いや戦があったほど、水は人にとって命の次に大切なものです。水道のなかった時代は、川の水やわき水を利用していましたが、田畑に水を汲み上げることや生活で使う水を確保することは大変な作業でした。井戸は、地下水を利用するために掘ったもので、水を汲み上げるのに「つるべ」(縄や竿の先につけた容器で水を汲むもの)や「手桶の持ち手に縄をつけたもの」を利用していました。明治・大正時代(1868年~1926年)以降は徐々に、手押しポンプが普及し始め、水道が普及する昭和30年代(1950年後半)まで町のあちこちでポンプを漕ぐ音が心地よく聞けたものでした。

水車の歴史

現在の水車は、ほとんどが水の流れを利用して廻す仕掛けのものですが、以前は人が手や足で水車を廻して、水の汲み上げに使っていました。日本で最初の水車は「日本書紀」の第22巻に掲載されており推古天皇の御代(592年~628年)、610年3月に朝鮮の高麗王の命により、曇徴(だむじん)という僧により日本にもたらされたとあります。1世紀後の大宝元年(701年)制定の「大宝令」には「水を取り入れて田をかん漑しようとする者は下流より始めて順次上流に使用すること、その場合は国司や郡司の許可を経る事」とあります。室町時代の「石山寺縁起絵巻」には瀬田川の水を汲み上げる水車の図があります。

参考文献「水車史考」

水車などをご寄贈いただいたみなさま

踏み車

牧落

岸谷 清三 様

手押しポンプ

箕面

武藤 善一 様

半町

那須 敏枝 様

清田 榮紀 様

よくあるご質問

お問い合わせ

所属課室:上下水道局経営企画室 

箕面市西小路3-1-8

電話番号:072-724-6755

ファックス番号:072-722-7413

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