箕面市 > 市政 > 市の計画・施策 > 施策・計画・プラン > 第五次箕面市総合計画 > 第四次箕面市総合計画 -みのおプラン2010- > 基本構想第2章第2節
更新日:2018年10月25日
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本市は、北緯34度49分、東経135度29分に位置し、大阪府の北西部にあって、東は茨木市、西は池田市、南は豊中市・吹田市、そして北は豊能町・兵庫県川西市と隣接しています。
市域は、東西約7.1キロメートル、南北11.7キロメートル、面積が47.84k平方メートルで、全体が都市計画区域に指定されています。その約60%を明治の森箕面国定公園を含む、緑豊かな中央山間地域(北摂山系)が占め、その南側に位置する西部・中部・東部地域と、北側に位置する北部地域とに大別できます。
都市間の広域交通については、北部地域を除き、交通拠点としての大阪国際空港およびJR新大阪駅、自動車交通の国土軸としての名神高速道路や中国自動車道をはじめとする各種高速道路のインターチェンジ等へのアクセスは比較的良好です。
また、大阪都心部へは西部地域からは阪急電鉄箕面線、中部地域からは千里中央を起点とする北大阪急行線、東部地域からは北千里を起点とする阪急電鉄千里線により短時間で行くことができ、そのターミナルへのバス路線も整備されており、市外・都市部への交通アクセスはおおむね充足されています。
名勝箕面山をはじめとする緑豊かな北摂の山々、その山々を源に市域を流れる箕面川や千里川に勝尾寺川、身近な市街地に残る里山や農地は原風景として本市を特徴づけるだけでなく、都市の魅力を高め、市民にやすらぎとうるおいをもたらしています。
特に、北部・中央山間部は、1967年(昭和42年)に明治の森箕面国定公園の指定をはじめ、近郊緑地保全区域等の各種指定を受けたことなどにより、森林等の自然環境の保全が図られてきました。こうした保全の取り組みもあって、府内では数少ない貴重な動植物や昆虫が棲息する自然の宝庫として、四季を通じて多くの人に親しまれています。
また、市街地から身近に眺められる山なみは、緑の景観として本市のシンボルとなっています。
箕面の歴史は、千里丘陵の西端に位置する瀬川遺跡から発見された土器や石器から縄文時代までさかのぼり、これまでに出土された銅鐸や古墳、窯跡等から、箕面の山麓部から箕面川、千里川沿いに人々の生活が広がっていったことが推測されています。
古代国家が形成されるにつれ、旧西国街道(山崎街道*)が整備され、都に通じる交通の要所として「駅家*」や「牧*」が設置されました。また、延喜式内社*として位置づけられた「伊那都比古神社」や「阿比太神社」があり、さらに、古代末から近世にかけて北摂地方の仏教文化の中心となった「瀧安寺(箕面寺)」・「勝尾寺」が山間部に創建されました。
山間部は信仰の場であり、修験者の聖なる地でした。一方、里では農林業を中心とする生活が営まれ、その街道筋は、修験者や山に参拝する人、市をめざす商人、都を行き来する人等、多彩な人々が往来する多様な文化の通り道でした。
多様な文化に触れながらそれらと共存し、独特の文化を創り出す箕面の風土は現在まで脈々と受け継がれ、新しい住民層がもたらす文化と従来の伝統文化が併存し、進取の気風に満ち開放性に富んだ箕面文化が築かれています。
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